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掲載日:2012年3月22日

映画・ドラマで韓国を知る方法
〜韓国を楽しもう〜

糀 陽子さん 開催日:2011年1月21日(土)
会 場:コーヒー屋シュッツ
話し手:糀(こうじ) 陽子さん ( 韓国映画愛好家 )

目次

 

 

T 自己紹介

U 韓国の政治社会

韓国の映画は、韓国の歴史、政治社会と切り離せません。最初に韓国の戦後史について概観しておきます。

1)1945年から1980年までの簡単な流れ

45年=日本の支配から解放、光復 → 48年=済州島四・三事件発生、南で「大韓民国」北で「朝鮮民主主義人民共和国」が樹立、イスンマン 大韓民国初代大統領に選出 → 50年=韓国戦争(朝鮮戦争)勃発 → 60年=4.19学生革命 イスンマン体制崩壊 → 61年=パクチョンヒ 「5.16軍事クーデター」で政権掌握 → 63年=パクチョンヒ 大統領に就任 → 64年=ベトナム派兵 65年=韓日基本条約締結 → 70年=セマウル運動 → 72年=10月維新(国会解散 政党活動全面禁止) → 73年=キムデジュン 東京で拉致 → 76年=「民主救国宣言」(パクチョンヒ退陣要求) → 79年=パクチョンヒ暗殺、ソウルの春、チョンドゥファン率いる新軍部が軍の実権を掌握(粛軍クーデター) → 80年=5.17クーデター → 「光州民衆抗争」(光州事件)発生

日本の支配から解放されたのも束の間、1948年には、「大韓民国」(韓国)、「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が樹立され、南北に分断されてしまいます。その陰には、「済州島四・三事件」という、北朝鮮抜きの単独選挙に反対する島民を粛清した、残虐な事件もありました。

さらに1950年には、朝鮮半島の覇権を巡って「韓国戦争(朝鮮戦争)」が勃発し、米ソを中心とする諸外国の参戦で国土がすっかり荒廃してしまいました。

就任以来親米政策を続けたイスンマン(李承晩)大統領は、1960年、4選を狙って官憲や暴漢を使った不正選挙を行い、これをきっかけに起きた「4.19学生革命」により失脚します。こうして1948年より続いた独裁政権が崩壊したのですが、1961年、パクチョンヒ(朴正煕)が軍事クーデターを起して政権を掌握したために、軍事独裁が継続されます。

パクチョンヒ(朴正煕)は、韓日基本条約締結やベトナム派兵により日米から援助を受けて、重化学工業の開発、農村の近代化(セマウル運動)、高速道路の建設などに力を入れ、「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を成遂げました。一方、1972年10月17日に大統領特別宣言を発表し国会の解散や政党活動・政治集会の禁止を決定して、さらに独裁を強めました。また翌年1973年には、自らつくった韓国中央情報部(KCIA)による、キムデジュン(金大中)拉致事件を起こしました。キムデジュン(金大中)は、当時野党の有力政治家でした。

拉致事件以後、反パクチョンヒ(朴正煕)運動が激化していきます。1976年には、キムデジュン(金大中)が中心となって「民主救国宣言」を発表し、パクチョンヒ(朴正煕)退陣を要求しました。そして1979年、パクチョンヒ(朴正煕)は、韓国中央情報部(KCIA)のキムジェギュ(金載圭)部長により暗殺されてしまいます。

チェギュハ(崔圭夏)が後任の大統領に選出されると、16年間続いた独裁体制が緩和されるのではないかと期待され、「ソウルの春」と呼ばれたりしましたが、チェギュハ(崔圭夏)は、チョンドゥファン(全斗煥)率いる新軍部の実権掌握を追認してしまいます。

「ソウルの春」以降盛んになった学生の民主化運動と労働者の労働運動を弾圧するために、チョンドゥファン(全斗煥)は、5.17クーデターを指揮します。そして学生を鎮圧する軍に反発して立ち上がった市民を無差別に射殺した「光州民衆抗争(光州事件)」へとなだれ込んでいきます。

年を追ってお話するのはここまでにして、次に歴代の大統領を見てみたいと思います。

2)歴代大統領

@イスンマン(李承晩) 【初代-3代 1948〜】Aユンボソン(尹?善) 【4代 1960〜】
Bパクチョンヒ(朴正煕) 【5代-9代 1963〜】Cチェギュハ(崔圭夏) 【10代 1979〜】
Dチョンドゥファン(全斗煥)【11代-12代 1980〜】 Eノテウ(盧泰愚) 【13代 1988〜】
Fキムヨンサム(金泳三) 【14代 1993〜】Gキムデジュン(金大中) 【15代 1998〜】
Hノムヒョン(盧武鉉) 【16代 2003〜】Iイミョンバク(李明博) 【17代 2008〜】

一般的に、キムヨンサム(金泳三)が初めての文民大統領と言われています。映画やTVドラマが盛んに制作されるようになったのは、彼が大統領になってからです。

不正選挙と言われている1971年の大統領選で、パクチョンヒ(朴正煕)に90万票差まで迫り、1973年に韓国中央情報部(KCIA)によって拉致されたキムデジュン(金大中)は、27年後の1998年に大統領になりました。以後、日本映画の上映やコンサートの上演が始まりました。またキムジョンイル(金正日)と「南北共同宣言」を行いました。

ノムヒョン(盧武鉉)は、「ノサモ」というインターネットを通して組織された支援団体の活発な選挙運動を受けて、大統領になりました。人権派弁護士として活動した後政界に入り、2003年に大統領に就任しましたが、連綿と続いてきた強固な保守の壁を前に次第に孤立を深め、支持率は低下していきました。キムデジュン(金大中)から受け継いだ革新政権を、次代に引き渡すことができませんでした。

保守ハンナラ党(*)のイミョンバク(李明博)は、2002年にソウル市長、2008年に大統領になりました。就任早々、米国産牛肉の全面輸入再開方針を決定したために、抗議のローソク集会が続きました。また、農地を奪われる農民や環境保全を訴える人々の声を押し切って、四大河川整備事業を進めています。
    (*)ハンナラ党は2012年2月13日に「セヌリ党」に改名しました。

2011年10月のソウル市長選で、革新系無所属のパクウォンスン(朴元淳)弁護士が、保守ハンナラ党の候補を破って当選しました。2012年4月には総選(総選挙)、12月には大統領選挙が行われます。再び革新系の大統領が誕生するのか注目されます。

以上、戦後の政治社会について話をしてきました。触れなかった1980年代については、Vで話すことにして、お渡しした「年表」(後掲)について少し説明します。

"政治・社会"の欄には、韓国の事件や様子を年毎に書き込みました。韓国以外の国の事件を括弧で括って入れた箇所もあります。また、生協関連の記述を青色の字で入れました。

"『映画』【韓国での上映年】"の欄は"『タイトル』【2桁の数字】"で表示されています。
"「ドラマ」【韓国での放送年】"の欄は"「タイトル」【2桁の数字】"で表示されています。

 1988年以前の欄の書き込みはほとんどが緑色の字です。 その時代にそのタイトルの映画やドラマがつくられて上映あるいは放送されたのではありません。 例えば、1948年と1950年の欄にある緑色の字の"『太白山脈』【94】"は、1948年の麗水・順天事件と1950年の韓国戦争に題材を採っていることを意味します。上映された1994年の欄には、黒色の字を使って書き込みました。

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V 韓国の政治社会と映画

1)386世代とは

「90年代に30代で、80年代に大学に入って民主化運動に参加した、60年代生まれ」の人々を言います。大学時代が民主化運動の最も激しかった時期と重なっている人々です。大統領で言えば、チョンドゥファン(全斗煥)とノテウ(盧泰愚)の時代にあたります。1980年の光州民衆抗争を経て、チョンドゥファン(全斗煥)の民主化運動弾圧を経験しながらも、労働者や農民を巻き込んで運動を続け、1987年にノテウ(盧泰愚)による「6.29民主化宣言」を勝ち取った世代です。極度の困難に耐え達成感を味わった世代でもあります。

90年代後半以降、彼らは社会の様々な方面で活躍し始めます。映画界も例外ではありません。

2)386世代の監督および彼らと同時期に活躍した監督とその作品には次のようなものがあります。

@カンウソク (60年生)シルミド(実尾島事件)
Aカンジェギュ (62年生)シュリ(南北分断)/ブラザーフッド(韓国戦争)
Bイムサンス (62年生)ディナーの後に/朴大統領暗殺(パクチョンヒ暗殺事件)/なつかしの庭(1970年代の民主化運動)
Cパクチャヌク (63年生)JSA(板門店)/オールド・ボーイ/親切なクムジャさん
Dイチャンドン (54年生)グリーンフィッシュ/ペパーミントキャンディー(光州民衆抗争) /オアシス/蜜陽(シークレット サンシャイン)
Eイムグォンテク (36年生)風の丘を越えて/太白山脈(麗水・順天事件、韓国戦争)/ 祝祭/春香伝 酔画仙
映画のポスター

彼らの作品の中には、当時の政権がひた隠しにしてきたことを題材にしたものがあります。例えば、「光州民衆抗争」あるいは「光州民主化運動」、日本では「光州事件」と呼んでいるものを描いた作品がそれです。韓国ではこの事件に触れることはタブーでした。ソウルから南に300キロ以上離れた遠い地方都市で起きた恐ろしい事件は、その地域の人しか知らない事件でした。

イチャンドン監督は1999年に『ペパーミントキャンディー』で、兵役に就いている間に光州に送られ市民に銃を向けるはめになる男性を描いています。(一方ドラマでは1995年制作の「砂時計」に、光州事件の実際の映像が使用されている部分があります。 韓国初公開の映像だったために話題になったそうです。) 

映画のポスター

2009年制作の『小さな池』という映画で、韓国戦争中のある村で起きた虐殺事件が描かれていました。これからも過去のタブーに挑戦する映画はつくられていくことでしょう。 同時に、現代の社会を描く作品も多くなってきています。映画がますます楽しくなりそうです。

 

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W なぜ韓国映画に興味を持ったか

映画のポスター

私が韓国映画に興味をもつようになったきっかけは、私の3番目の韓国語の先生が映画好きだったからです。 先生と出会ったのは1997年でした。振り返ってみれば、韓国の映画が盛んに入って来はじめた頃でした。『われらの歪んだ英雄』『風の丘を越えて』『祝祭』『太白山脈』などを薦められたことを思い出します。「砂時計」というドラマも薦められました。しかし当時「砂時計」のDVDには日本語字幕がついていませんでしたので、私の語学力ではどうにもできませんでした。

そして、2003年に生協の国際担当として、韓国の生協との交流やスタディツアーなどの仕事を始めたことが、より関心を深めるきっかけとなりました。 2004年にカンウォン(江原)道ウォンジュ(原州)の協同組合を訪問しました。ウォンジュは、民主化運動のメッカと言われたところで、ここの協同組合は民主化運動の中から生まれました。彼らと話をしているうちにチャンイルスン(張壱淳)という名前が何回も出てきましたが、私はこの人のことを知りませんでした。 それで「チャンイルスンってどういう人ですか?」と尋ねたところ、「ええ?チャンイルスンを知らないの?」と言われ、とても恥ずかしい思いをしました。チャンイルスンは、ウォンジュの民主化運動のリーダーとしてとても重要な役割を果した人でした。

それから韓国の歴史を知るよう努めました。その際、韓国映画がとても役に立ちました。その後さまざまな韓国の方々とのおつきあいがありましたが、彼らに韓国の歴史を教えてもらい、映画でそれを復習し、自分なりに歴史上の事件などを整理しました。

ドラマを見るようになったきっかけは、韓国語のヒアリング力を上達させたかったからです。しかしながら期待したほどの効果は出ていません。「おもしろいから見ている」というのが正直な気持ちです。せりふや生活習慣の違いが楽しめますし、話の筋が2転、3転するところや、視聴者の声によって筋が変ったり、視聴率の高低で回数が増減したりするところもおもしろいです。最近は話の展開を予想するようにしています。当たると気分爽快ですが、なかなか当たりません。

映画であれドラマであれ、他の、例えば本でもいいですが、韓国の情報がたくさん入って来るようになったことが一番いいことだと思います。「冬のソナタ」を皮切りに日本のテレビで韓国のドラマが放送されるようになったわけですが、これが「冬のソナタ」ではなく、「砂時計」や「白夜」だったらどうだったでしょう。「冬のソナタ」を含む四季シリーズと言われるユンソクホの4篇のドラマは、いつの時代の話なのかよくわかりません。(「砂時計」のように光州が出てくるわけでも、「白夜」のように北朝鮮のゲリラが侵入してきたり、ソ連との国交が始まったりするわけでもないので、わかりません。) よくわからなかったからこそ日本の視聴者に好まれたのかもしれませんね。ともかく「冬のソナタ」がきっかけをつくってくれたからこそ、現在たくさんのドラマを見ることができ、情報を得ることができます。ありがたいことです。

私の母は福岡県の飯塚で育ちました。飯塚は麻生家の炭坑があり、多くの朝鮮人が連れてこられて働かされたところです。飯塚を離れて何十年も経ったにもかかわらず、朝鮮人と言えばその頃のことを思い出して「キムチくさいからきらいだ」と言います。今や、キムチは日本人が好きなたべものになっているのに、です。母が朝鮮から来た人と話せたら、つきあいがあったら、と思う時がありますが、日本が力づくで支配していた頃のことですからそんな仮定さえ成り立ちませんね。

情報を自分の中に十分に蓄えていると、韓国人をみかけだけで判断したり、ことば尻を捉えて攻撃したりすることがなくなります。同じ日本人でも全く考えが違う人がいるように、韓国人に考えが違う人がいるのはあたりまえだということが、自然に、苦労せずにわかるようになります。そして自分と違う人も大切にしなければならないと思うようになります。 これが韓国の映画やドラマを見るようになって得た尊い価値です。違っていることはいいことかもしれません。自分と違う考えを聞き自分の考えを言う、話合いの始まりですから。

(このあと、糀さんは映画やドラマのチラシ、パンフレット、雑誌などからスライド化した画像を30枚程度見ながら、その内容、面白さ、感想などを語られました)。

(終わり)

寺小屋の様子

付 ) 「 年表 」 HTML版

付 ) 「 年表 」 PDF版 (247KB)

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