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掲載日:2012年8月18日

お題

人との出会いで毎日ハツラツ!!私の人生

大高文子さん 開催日 : 2012年6月16日
会 場 : 生活クラブ本部談話室
話し手 : 大高文子さん(生活クラブ 浦和西支部 組合員)

目次

1.はじめに

お話中の大高さん

今日は初めてお目にかかる方もおられますが、サクラではないかと思われてしまいそうな身近な方もおられます。これからはなす事は、普段身近な方にもあまり話したことがないことです。

私は1954年、千葉県に生まれました。同年3月にアメリカはビキニ環礁で水爆実験をしました。翌月の4月に生まれました。

今現在こうある中で、昨年の福島原発の事故もそうですが、私が生きてきた中でけっこう原発問題を節目として、いろんなことを考えてきた気がします。

生活クラブ生協に加入した次の年くらいにチェルノブイリの事故があって、私たちが飲んでいた度会茶から放射能が検出され、「統一班会議」なるものがありました。班会議を開いてその問題を話し合い意見を出したことが、遠い記憶にあります。 そういう活動をする中でいろんな問題に意識を持つようになって、8月のヒロシマに参加する中で、「この子たちの夏」の自主ろうどく劇にも関わりました。

こういう風に振り返ると、生まれた時から原子力に問題があったんだ、とあらためてわかります。

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2.子どもの頃をふりかえって

私は両親、祖父母、兄弟の中の末っ子で8人家族でした。けっこう甘やかされて育ってきたかと思います。11歳の時に父が交通事故で亡くなりました。その2ヶ月後に祖父がその心労からか病気で亡くなりました。11歳の時までみんなでご飯を食べていたのに、突然女と子どもだけになりました。それまで甘えて育ってきましたが、それから以降は自分のことは自分で責任を持つということが、自然に身に付いて育ってきました。3人の兄も姉も母親に頼ることなく、それぞれ自由に育ってきました。

「 行ってもいい? 」 から 「 今日はこうするから。○○に出かけます 」 へ

それまでは何か行動を起こす時、例えばちょっと遠いところに行く時などは、父母に「行ってもいい?」といって、OKが出たら行くという風にしていましたが、その後は「今日は○○へ行くからね」と、決めたことを伝えるという格好になりました。11歳からはそのように行動してきました。

好きに行動してきたので、結構ミーハー的なところも楽しんで育ちました。 私たちの世代の亭主は定年を迎える時期になりまして、家に亭主がいて主婦が行動しようとしても、「今日は主人が家にいるので出かけられない」と、亭主を厄介者みたいに言いますが、うちは結婚当初から自分が思ったことをしたいので、亭主には「今日はこうするから。○○に出かけます」という生活でした。幼い時から基盤となった生活の仕方に見合って、今の私があるように思います。

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3.生活クラブ生協との出会い

生活クラブに加入して18年、様々な出会いと別れがありました。ずっと委員をやってきましたが、今は別の所で活動している、そのことで元気そうに見えるのかな、と思っています。

生活クラブとの出会いは、私にとって大きなことで、救われたような気持ちになりました。今北浦和に住んでいますが、その前は合併前の与野市に住んでいました。子どもが2人いますが、上の子は幼稚園まで与野市で育てました。

結婚して東京から与野に引っ越してきて子育てをするなかで出会った人たちというのは、近所の数百メートルでの関係でしかないのですが、その中での子育てにはいろんなことがあって、他の人に「私は人間不信におちいったのよ」というと「ウソ」って言われるのね。子ども連れで買い物に行くのも狭い範囲でしか動いていなくて、そこからその範囲の外のことに目が向けられたというのは生活クラブのおかげです。

おいしい豚肉があるよ

上の子が幼稚園の時北浦和に引っ越してきて、友人に生活クラブのことを「おいしい豚肉があるよ」と聞かされたのが、生活クラブとの出会いでした。近隣の人たちに声をかけて班を作り、今があります。生活クラブに入って新しい友達ができて新たな世界が開けたのです。

そこから今度生活クラブの委員会活動に参加しました。そうすると東京の大塚から越してきて、浦和のほんの一部しか知らなかったのですが、浦和の支部委員会に出かけていくことで、浦和の各地区からいろんな人が委員として出てきて、そういう人と知り合うことで、自分の行動範囲が一回り大きくなったことを実感しました。

その後支部委員となって支部運営に参加し、支部委員長として埼玉全体の会議に参加するようになりました。そこで私は生活クラブの仲間が埼玉全体でこれだけいるんだということがわかりました。所沢、越谷、熊谷などそれまで全く縁のなかった人たちを知ることができました。出会うことでいろんな興味が生まれました。

小さい頃からの、思ったこと、感じたことを行動するという習慣がありますので、そういう風に行動することでいろんな人と知り合うことになりました。

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4.平和への思い

そういう出会いの中で現在私が楽しみにしていることは、毎月1回小川町に行くことです。小川町はすばらしい環境がありますが、そこで出会った組合員が数名います。彼女たちを見ているととてもパワーがあるし前向きで、見ているだけで元気になれるんです。

生活クラブ以外の活動にも目を向けるようになったのはここ10年くらいですが、人との出会いは裏切られたりすることもあります。でもそのことを引きずらないで新しく出会ったものを、自分にとってプラスになるように行動しています。ここにおられる野田さんとは10数年来のおつき合いですが、こんなに長くお友達でおつき合いするとは思ってもいませんでした。

私の生活クラブでの活動は原水禁が発端なんですが、自分の中で平和が大切であって、生協で共同購入できることこそ平和でないとできない、との思いがありました。ですから平和観を求める意識が強いでした。

猫を通して平和を考えています

私は(野田さんの前ですが)猫を通して平和を考えています。平和というのは人からものを奪わない、奪い合うことから戦争が生まれる、水・石油・土地などを奪い合って地球上で争いが起こっています。奪い合わないというと、猫がごろりとおなかを出して寝ている姿が平和の象徴ではないかと思っています。福島での原発事故に遭遇した犬・猫に平和な姿はありません。人間と動物が共生できる社会が平和な社会ではないでしょうか。そういう風に思って、また永田町に行って来るつもりです。

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5.八ッ場ダムのこと

お話中の大高さん

他の人から見たらそういうことをやっているのが、元気ハツラツに見えるのでしょうけど、自分が思ったのでそうしたいと、自然にそうなっているのです。

もう一つ長く取り組んできたことは、八ッ場ダムをストップさせる運動です。ここに資料があるのでご覧下さい。八ッ場ダムのことは私も10年前には知りませんでした。関東近県の多くの人も知らなかったと思います。八ッ場と書いて「ヤンバ」と読むということが知れたのも、政権交代して騒がれてからでしょう。

私は八ッ場のことは、首都圏のみずがめとして作られる八ッ場ダムには問題があると聞かされてからです。聞かされた年の8月に一人でこのダム予定地の見学会に行きました。

浦和から吾妻線で群馬に行くのですが、前橋をすぎると山が近くなり美しい風景になります。緑が深く、自分の住んでるところと比べ、ましてや8月ということもあり、空気がとても新鮮に感じられました。吾妻渓谷が関東の耶馬渓ともいわれるほどの所であることも知りました。

千葉生まれで、群馬の山のことは草津は知っていても、長野原町や川原湯温泉は学習会でこれは作ってはならないダムだとわかったので住民訴訟に参加しました。地裁では敗訴でした。今は高裁に控訴中です。

政権交代で民主党政権は八ッ場ダム中止と言った時、橋脚の映像が出て「これだけできているのにやめるのはもったいない」とか言うのですが、映像で出るのは周辺工事だけで本体工事には手が着いていません。訴訟は10年前から進められていますが、本体工事は未着工なのです。昨年暮れ前田大臣が万歳三唱して工事再開を決めましたが、まだまだ問題は残っていて、パブリックコメントを出す運びにもなっています。

八ッ場ダムの話だけでも1時間じゃ終わりませんが、なぜこの問題に関わったかというと、人との出会いです。一都五県で工事ストップの訴訟を取り組んでいますが、そこにすばらしい人たちが集まっています。すばらしいとは、単に頭のいいだけでない、御用学者じゃない人たち、そういう人たちです。真実を考え、自分の思いで行動する人たちです。誰かに言われるのでなく、自分がこう思ったのでそれを行動で表す、というのが八ッ場ダムを中心に活動している人たちです。

そういう人たちに出会うため、難しい問題で永田町や霞ヶ関に出かけていくのは楽しみでもあるのです。運動はなかなか進みませんが、その人たちに会うことでまた元気になれます。

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6.石けんを通した出会い

もう一つ力を入れているのは石けん活動です。

石けんに出会ったのは、生活クラブに入ってからです。それまでは石けんなのか、合成洗剤なのかもわからない状況でした。ある時一人の石けんおばさんに会いました。この方とのおつき合いは今も続いていて、主人よりおつき合いは深いくらいです。

人はあまのじゃくですから、合成洗剤は悪くて、石けんは良いよ、と言われると「なんで」となって、「石けんなんか使わないよ」となりがちです。あんまり興味はなかったんです。

アトピー性皮膚炎

でも子どもがだんだん成長する中で、長男が現在34歳になろうという年ですが、その子が1歳頃にアトピー性皮膚炎になったんです。肌の弱いところが爛れたり、虫に刺されたところがしこりなったり、肌のトラブルが起きていました。

そんなとき近所の狭い中の子育てでしたので、「アムウエイがいいよ」とか「ホームケアジャパンが良いよ」とか、ホームパーティー形式の販売情報がありました。そういう情報を信じ切って使っていたこともあります。

カイワレ発芽実験

でも子どもがそういう状況になって、石けんおばさんの「カイワレ発芽実験」を子どもにさせた時に、合成洗剤で発芽実験をすると、夏場は特にくさいのです。発芽はするのですが、その後水が腐るのです。石けんの方のカイワレは育っていきます。合成洗剤の方の水のにおいはドブのにおいなんです。これを流していったら川の水も汚れるんだと実感しました。

私が千葉で育った頃は、飲み水は井戸でした。公共水道はまだなかったのです。ですから地下水はきれいだと思っていたのですが、埼玉に越してきて「あの荒川の水を飲んでいるんだ」と秋ヶ瀬公園に遊びに行って実感しました。荒川の取水堰で釣りをしたりしている人を見ながら、あの水を飲んでいるのだから、汚してはいけないんだということがだんだんわかってきました。合成洗剤がなぜ悪いのかを勉強して、水を汚さず、化学物質を生活から少なくしようという運動を続けてきました。

その運動を20年やってきたのですが、それは「埼玉連絡会」という石けん運動を進める団体に集う人たちが、誰のためでもない自分がこうしたいからという生活を選んでいる人たちが多いので、とても前向きで建設的に物事が進んでいく、そんな関係がずっと続いています。月一回の定例会でみなさんにお会いするのも楽しみです。

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7.料理や手芸も大好き!

周りの人から見ると、いろんなことをやっていて面白そうにしている、というのは、自分がどこに興味・関心を持って突き進むかにつきるかな、と思います。

忙しいこういう会合の間に、主婦として料理とかもします。家庭の仕事は決して嫌いではなく、家はきれいに片づいているとは言えませんが、今日着ているのも、忙しい中、編み物や手芸をすることで充実感が得られます。

一日ずーっとやっていたら肩が凝ってイヤになりますが、外へ出て家にいる時に、テレビを見ながら何かをやれることが、猫と遊んでごろごろしているのも好きなのです。これ楽しそう、と思ったらコサージュづくりとか編み物とかします。これも人と出会ってきたからやれることです。こういうのが上手な人、教えてくれる人に出会ったことでできたんだなと思います。

パッチワークの楽しさを発見

子育ての中で行き詰まって人間不信になったというけど、そのなかでも楽しいことは結構ありました。パッチワークの楽しさを発見したのもその頃で、その後7年間やりました。まだ仕上がってないものも含め、何十年もおいてあるものもあります。子育て中でも、大きなものには手は出せなくても、こちょこちょできることはあります。忙しい中5分でもパッチワークの端切れをつないでいくと、結構なものができるのが楽しいでした。いまでもやりかけのものに手を入れたりして、作りかけのものが多いのです。

編み物もこの前これを仕上げて、ストールも三分の一くらいで糸がなくなり、買いに行ったら何番かわからなくてまだ進んでいません。何かの機会の楽しみにとってあります。

子育ての期間、外に出られませんでしたが、地域の人との出会いでコツコツやれています。料理も好きで、飾り寿司とかをみなさんにお教えしたりしています。ここの「お弁当ワーカーズ旬」にも11年いました。旬の人たちとの出会いでいろんな料理も覚えました。50何歳になっても初めて料理のいろはの「い」がわかることがあります。料理の奥深さを実感する時です。TVの料理番組を見てもそう気づく時があります。するとそれにチャレンジしてみたくなったりします。

飾り寿司

飾り寿司は、千葉がもともと派手なところで、おもてなしを重視するところだったので、何かあるとすぐ寿司など作ります。今日も巻き寿司を少し作ってきました。後でみんなで食べましょう。

お寿司は母との思い出の中にあります。母は何かあると朝早くから沢山の巻き寿司を作っていました。そういう母の背中を見て育ちました。それを元にカラフルな飾り寿司を作っていますが、一人じゃつまらないので誰かを誘って、年に1−2回身近なところでやっています。

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8.これからのことなど

いろんなことに興味があるのですが

いろんなことに興味があるのですが、私の場合人と出会わないと湧かない、その人に影響される部分が何かしらあります。その中で自分がこうしたいということを、実際やってしまうことが、周りから見ると元気そうにやっていると思われるのかも知れません。案外ひっくり返って寝ていることも多いのですが、そういうのは見えないので。じゃなければこんなに太ることはないんです。ハードに動いていればもっとやせているでしょうに。

いつも人生これで終わりたくない、という思いがありますが、それが何かはつかめないし、自分がなぜ生まれたかもわかりません。それを探すための人生だ、っていう人もいますが、このために生きる、ということがもっと早く見つかれば充実した人生になる中も知れません。私はまだまだ自分が何をしたいのか、自分の使命は何のか、はわかりません。

コミュニティーサロンを立ち上げようと思っています

5年前にちょっと変わったおじさんに出会い、響き会う部分があったので、今年の後半からコミュニティーサロンを立ち上げようと思っています。これを仕事として考えて行けたらいいなと思っています。でもそのことも多くの人との出会いがなければ何も見えてこない。それは偉い先生などではなく、ほんの隣にいる人です。そのような人とひょんなきっかけで出会います。

今日はこの中で初めてお会いする方が3人いて、とてもうれしいです。

私の取り柄はいろんな人を知っている、ということです。その中には裏切りや不信も沢山ありましたが、それも多くの人に出会ったからです。私は裏切りや不信を恨んではいません。その人が今も元気に動いているのを見ると、良かったなと思います。

沢山の人と出会い、その人たちを大切にすることを一番に思っています。生活クラブで鍛えられたのは、多くの人と出会い話し合うこと、違う意見も認め合うことができたり、先入観で決めつけないで、自分が話して自分で考え感じてその人とつきあっていくことを、生活クラブの中で育てられました。

そして信頼関係を持てるか持てないか、持てる人に出会えたことで自分自身が元気なれたと思います。それが今やっている運動につながっています。信頼関係がなければ長くおつき合いはできません。信頼関係を作るため、自分も人を大切にするし、人を裏切らないようにと、いつも思いながらやってます。

でも人間て残酷だから、自分は裏切らないと思っていても、相手は裏切られたと思うかも知れないし、誤解が生じることもあります。でも自分で考え行ったことは自分で責任をとるという、小さい時から自然に身に付いたことがあります。もう少し人に甘えて過ごしても良かったかなと思う時もありますが、何となくそうなってしまっています。

いろんなことにアンテナを張るというとストレスになりますが、自分に興味のあるものを探しながら出会うことが大事で、後でマイナスになることはないと思います。それが人生の経験の一つになっていくと思います。今月は「パンを巡る旅」で楽しんできます。永田町いっても、腹が立つことは多いですが、何かしら楽しんでくるようにしています。

民主党政権になって、

民主党政権になって、政治が見えるようになって、民主党のだらしなさ、官僚のいうままになっている様が見えるとか、総理大臣が経済界の操り人形になっているとか、が見えてきています。自民党だったらここまで露骨に見えたかどうかわかりませんが、その分私たちも利口にならないと行けないと思います。オウム真理教のニュースが大きくて、基礎年金や消費増税がトップニュースに来ないこの国のメディアのおかしさに憤っているところです。

知らず知らずに法案が通ったり、生活が悪くなっていったり、そういうのに気づいたら動かざるを得ない、これは人のためという大それたことではなく、自分のためです。自分が納得できないから、納得行くようにしたいだけです。それが後に何かに役立てばいいということです。エゴといえばエゴですが、人に押しつけるのも良くないと思い、しつこく誘うということもしてきませんでした。こういう話で興味を持ってくれる人が一人でも多く出ればいいなと思います。

八ッ場のことなんかでも報道では聞いていたでしょうけど、「ん、あの人言ってたな」という感じで八ツ場を見ることができるかなって思います。多くの人にいろんなことを知ってもらいたい、という思いで運動しています。

映画 「 いのちの林檎 」

この前は石けん運動関係で、「いのちの林檎」という化学物質過敏症の映画の上映会を行いました。これは1年前に私が新聞で見て、ああこんな映画ができたんだ、と気づき、その後実際にその映画を見て自主上映をしたいと思いました。連絡会の会合で「こんな映画があるんだけど」と提案して、自主上映実施の運びとなりました。

「いのちの林檎」という響きの良いタイトルですが、重い内容です。化学物質過敏症の重症患者のドキュメンタリーで、この症状を持つ患者が日本には70−80万人いる、でもその苦しんでる実態を多くの人は気づかないし知らない、花粉症で去年は大丈夫だったのに、今年は出たわ、というのと同じように化学物質過敏症が出るかも知れないところまで来ている、身の回りを見ても多くの化学物質の中で暮らしています。

私は1954年、千葉の田舎で生まれたので、もちろんそんなに多くの化学物質に囲まれた生活ではありませんでした。洗剤も洗濯機が出るまでは石けんでしたし、合成洗剤のCMもテレビが普及してからです。

その後多くの化学物質が知らないうちに家庭に入り込んできました。住宅や道具に化学物質が使われ、それなしには生活できなくなっています。それに気づいて少しでも化学物質を減らすことで、病気も予防できる、そのことを知ってほしくて上映会をしました。準備に半年をかけ、石けんの仲間を初めとする、これまで出会った方に声をかけて協力してもらいました。自分のためでもありましたが、人のためにもなったかと思っています。

多岐に渡って興味関心はつきませんが

お話中の大高さん

多岐に渡って興味関心はつきませんが、次はどこに行くのでしょうか。これでも広げたのを少し狭めたのですが。いまは八ツ場ダムと石けん運動だけです。最近はこれにつきます。

そうだ、犬猫、動物がありました。単に犬が好きとかではなく、動物と人が共生する社会を目指しています。いのちを大切にすると言うことです。

最近本当に残念なことに、良く知っている方が自ら命を絶たれました。一つでも楽しいことがあれば、生き続けられたのではないかと思います。私は今後も小さなことでも楽しいことを見つけて生きていきたいと思います。

今日は資料代とコーヒー代をいただくのですが、私は資料ではなく、お料理を資料代わりに作ってきましたので、後の時間はそれを食べながらみんなで楽しいトークをしたいと思います。寺子屋サロンならぬ、おしゃべりサロンですね。ありがとうございました。

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