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掲載日 : 2018年12月8日

タイトル

講座名:大人の平日クラブ
お江戸オノボリさんぽ
江戸と平成がコラボする石川島・佃島・月島を歩く
案内人:中央区文化財サポーター協会 筑間さん、角田さん、他2名
開催日:2018年10月24日 (水)

講座の一コマ

佃島のまち歩きは今回で2回目。地下鉄月島駅前のモニュメントから出発です。

月島に住んでいるガイドさんが、子どものころ駄菓子屋でもんじゃ焼きを食べていたという話などを聞きながら、昭和の思い出に浸っていると、次の佃島砲台跡で時代は一気に幕末まで遡ります。さらに進んで国道473号のガードをくぐり、佃一丁目に出ると街並みの雰囲気がガラリと変わりました。

ここ佃島の地は、1590年徳川家康が秀吉の命で関東に下った時、家康に同行した摂津の国佃村の漁師たちが、江戸湾の砂州を拝領して自分たちで33年かけて盛り土をして完成し土地。江戸湾にポツンとできた人工の漁師村だったとのこと。

佃小橋の下には住吉神社の大祭時に建てられる6本の大幟(おおのぼり)の抱(だき)が埋められていて、現在も祭りの度に土中から掘り出して立てているそうです。江戸の当時は江戸城から佃住吉神社の大祭の幟旗が見えたとの説明に、参加者の皆さんからは「今からは想像できない!」と驚きの声。

住吉神社、石川島人足寄せ場、石川島造船所跡、佃島渡船場跡など江戸時代の史跡が続いた後は、佃大橋を渡り築地明石町へ。現在聖路加病院の敷地になっている辺りは、元禄の頃浅野内匠頭の上屋敷があった場所。浅野家が取り潰しになった150年後の幕末には、ここは外国人居留地となり、外国人向けの乳製品を作るための放牧場があったとのこと。

聖路加病院中庭のトイスラ―記念館の前で、宣教医師のトイスラ―がここに日本で初めての西洋医療の病院を創立し、聖路加病院の初代院長になったとの説明を聞いていると、江戸時代から今に至るこの土地の変遷が足元から伝わってくるような気がしました。最後に聖路加ガーデンにある初代アメリカ公使ハリスが開設したアメリカ公使館の記念碑を訪ねて、今回のまち歩きは終了しました。たくさん歩いてお腹もすいたところで、築地場外市場近くのすし店でおいしいお寿司の昼食をいただいたあと解散となりました。

講座の一コマ 講座の一コマ 講座の一コマ

( 報告:くまちゃん )

本講座チラシ PDF 334KB)